菜七子フィーバーとは何か?あの熱狂と彼女が作り上げた記録を振り返る

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あの菜七子フィーバーを、いま振り返る

「藤田菜七子」という騎手の名前は競馬界だけでなく、日本において多くの人に知れ渡っています。JRA所属の女性騎手としては16年ぶりのデビューとなった彼女は、2016年に大きな旋風を巻き起こしました。あの菜七子フィーバーとは何だったのか、いま改めて振り返っていきましょう。


(藤田菜七子騎手のInstagramより)

菜七子フィーバー(デビュー前)

2013年に競馬学校の第32期生(同期には坂井瑠星や荻野極など)として入学した菜七子騎手は、入学当初からメディアに度々取り上げられ、2016年のデビューが近づくにつれてその注目度は増していきました。

特に2016年の2月頃には、その可愛さもあってアイドル的な人気を集め、中年層の男性を中心に多数の競馬ファンが菜七子騎手のデビューを心待ちにしていました。

ボクの周りでも、先輩が待ち受け画面を菜七子騎手の写真にしていたり、関連グッズが飛ぶように売れたりと、明らかにブームのようなものが来ているのが分かりました。

菜七子フィーバー(2016年デビュー ~ 初勝利まで)

そういったデビュー前の話題性を受け、地方競馬から声がかかる形で、JRAの競馬場より先に川崎競馬場でデビューすることになりました。中央所属の騎手が中央競馬よりも先に地方競馬でデビューするのは非常に珍しいことで、歴代3人目ということです。

以下、デビュー後の流れです。

3月3日 川崎競馬場

平日の川崎競馬場へ、7,214人もの入場者が集まり、重賞日並の売上を記録しました。67社のメディアから150人以上が集まり、取材エリアも大幅に制限されるほどの注目でした。

この日は6鞍に騎乗し、2着1回・3着1回という成績を上げています。南関東競馬は、馬券に馬名と騎手名が印刷されるため、藤田菜七子騎手のデビュー日ということで記念馬券が良く売れました。

3月5日 中山競馬場

中山の第2Rで中央競馬のデビューとなりました。この日も最高着順は2着でした。藤田菜七子騎手が騎乗したレースでは、単勝の票数が通常よりも1~2割増となり、最終レース後には会見も開かれるなど、まさに菜七子騎手のための1日でした。

ボクの記憶でも、間違いなくこの日が菜七子フィーバーのピークであり、一番メディアやファンが熱狂した日だったと思います。

その後、3月6日、12日、13日も中山で騎乗しました。

3月15日 高知競馬場

この日は、高知競馬場からお呼びがかかり、平日の遠征となりました。特に、別府真衣騎手との女性騎手対決に注目が集まり、普段の重賞開催日よりも多い2,660人ものファンが来場しています。

なんと! ボクもこの日、高知競馬場に行っていました!

偶然にもこの期間に高知へ旅行に来ていたのですが、藤田菜七子騎手も高知に来ると知り、突発的に競馬場へ駆けつけたのです。デビュー直後の菜七子騎手を、高知競馬の近い距離で見ることができてとても良かったです♪

 

その後、

3月20日 中山競馬場で重賞初騎乗(GⅡスプリングステークス)

3月24日 浦和競馬場で騎乗 初勝利を上げ、次のレースも連勝

なお、24日の浦和競馬では初勝利のゼッケンが盗まれるという事件が起こり、いろんな意味で菜七子フィーバーの熱狂度があらわになりました。

4月10日 福島競馬場 JRA初勝利

第9Rのダート1150m戦でサニーデイズに騎乗し、デビュー51戦目で念願の中央競馬初勝利を挙げました。中央競馬でJRA所属の女性騎手が勝ったのは、2004年6月20日に牧原由貴子騎手がダイワメンフィスで勝って以来、実に12年ぶりのことでした。

3月3日のデビュー以来、メディアもファンもずっと初勝利を心待ちにしていました。直線ではG1のような非常に大きい歓声が上がり、レース後は藤田菜七子騎手も涙を流していました。初勝利のインタビューでは、「ホッとした気持ちが一番強いが、とても嬉しいです。やっと勝てたんだという思いです」と語っています。

 

ボクが見てきた感覚では、このJRA初勝利までが「菜七子フィーバー」だと言えると思います。それ以降も藤田菜七子騎手は非常に高い人気を保っていくのですが、熱狂的な旋風というよりかは、アイドル的な人気に変わっていくような流れでした。

それにしてもこの1ヵ月は、どこの誰と競馬の話をしていても絶対に藤田菜七子騎手の話題になるほど、ものすごい取り上げられ方だったのです。

菜七子フィーバーのその後

少しずつフィーバーが落ち着いていった藤田菜七子騎手ですが、その後は実力で話題を作っていきます。その流れを時系列で簡単にまとめます。

 

2016年8月 アラブ首長国連邦での「レディースワールドチャンピオンシップ」へ出場

2017年1月 「マカオ国際男女混合ジョッキーズチャレンジ」に、JRA代表として武豊騎手とともに招待され参戦

2017年10月 1997年に牧原由貴子騎手が記録した11勝を抜き、JRA女性騎手の年間最多勝利記録を更新

2017年は14勝を上げ、中央競馬騎手年間ホープ賞を受賞

2018年8月 通算35勝を達成し、JRA女性騎手の最多勝を記録

2019年6月 スウェーデンで開催された「ウィメンジョッキーズワールドカップ」で優勝

2019年10月 JpnII東京盃(地方交流重賞)でコパノキッキングに騎乗し、重賞初勝利

2019年、新潟競馬で20勝を上げ、女性騎手としてJRA史上初の競馬場年間リーディングを獲得

2019年12月 GIIIカペラステークスでコパノキッキングに騎乗し、JRA女性騎手として史上初の中央競馬平地重賞を制覇

 

こうやって見返しても、本当にすごい記録の連続です。ワールドカップ優勝や新潟の年間リーディング獲得なんて、実力がなければ絶対にできませんから。

そんな大活躍をしていた藤田菜七子騎手ですが、2020年の2月に落馬による骨折をしてしまいます。それ以降、度々の手術などで離脱してしまう期間が増え、なかなか勝利を上げられなくなっていきました。

菜七子フィーバーのあとはアイドル的な人気に変わっていったと書きましたが、そのアイドル的な人気が終焉していったのがこの落馬事故あたりだと思います。

またいつか菜七子フィーバーは来る!?

お気づきだとは思いますが、ボクも藤田菜七子騎手が大好きです。それはルックスのみならず、しっかりとした実力が伴っている「上手いジョッキー」だと思っているからです。

また、女性騎手として大先輩にあたる細江純子さんは、「たった一人でのデビューから、勝利を挙げて、重賞を制して、女性騎手のルールの規定に繋がっていくなど、菜七子ちゃんの功績は本当に大きいと思う。いま、後輩の女性騎手が活躍できているのも、菜七子ちゃんが道を作ったから。」と評していました。

藤田菜七子騎手の活躍や苦難をずっと見てきた身として、また新たに日の目を浴びるときが必ず来ると信じています。第二の菜七子フィーバーに期待しましょう!

 

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