【番外編】史上最強牝馬『ヒシアマゾン』

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平成の女傑 ヒシアマゾン

本日、平成の女傑ヒシアマゾンの訃報が届きました。

女傑ヒシアマゾンが死亡、28歳 GI・2勝、1994年有馬記念でナリタブライアンの2着 | 競馬ニュース - netkeiba.com
 現地時間15日夜、アメリカのポログリーンステーブルで余生を送っていたヒシアマゾンが老衰のため28歳で死亡した。17日、JRAが発表した。 ヒシアマゾンは父Theatrical、母Katies、その父… No.1競馬情報サイト「netkeiba.com」の競馬ニュース。

筆者たつやマンが、日本競馬の史上最強牝馬に挙げる1頭です。

いったいどんな馬だったのか?その凄さをお伝えしていきたいと思います。

 

ヒシアマゾン とは

ヒシアマゾンは、1993年~1996年にかけて活躍した外国産の牝馬(女の子)です。通算成績は20戦10勝、GIを2勝、重賞を9勝しています。主戦騎手は、今は調教師となっている中舘英二騎手でした。同世代には三冠馬のナリタブライアンがおり、有馬記念ではその2着まで迫っています。

現役時代には、その強烈な末脚を武器に、並み居る牡馬たちを倒していきました。その活躍により、3年連続でその世代の最優秀牝馬に選出されています。

引退後は故郷のアメリカに戻り、繁殖牝馬となりましたが産駒には恵まれず、そのままアメリカで余生を過ごしました。

なぜヒシアマゾンは史上最強牝馬なのか

ヒシアマゾンの成績を見ると、G1は2勝しかしていないことが分かります。この実績は、ウオッカジェンティルドンナなど、他の最強牝馬には大きく劣ります。では、そんなヒシアマゾンがなぜ史上最強の牝馬だと言えるのか?詳しくお話していきましょう。(※ここからは筆者たつやマンの個人的見解になります。ご了承くださいませ。)

1.幻の三冠牝馬

ヒシアマゾンは、2歳の暮れにG1の阪神3歳牝馬ステークスを勝ちました(現在の阪神ジュベナイルフィリーズにあたります)。通常、2歳G1を勝った牝馬は、3歳の桜花賞オークスを次の目標とします。しかしながら1994年の当時は、外国産馬に対して3歳クラシック競走への出走がまだ認められていなかったのです。アメリカ生まれのヒシアマゾンもこれに該当し、桜花賞やオークスに出ることができませんでした。

そこで、ヒシアマゾンはクラシック競走のトライアルレースであるG2・G3戦線を進むことになります。するとどうでしょう、同世代の牡馬・牝馬に対して、重賞5連勝を達成するのでした。

特にスゴいのが、クリスタルカップ(G3)で魅せた鬼脚です。

1994年4月16日 中山11R 第8回クリスタルカップ(GIII)

直線に入ってから繰り出されるその強烈な追い込みは、レースを見ていた人を大いに驚かせました。20世紀のベストレースに、この時のクリスタルカップを上げる評論家もいるほどです。

そして秋になり、ヒシアマゾンはようやくG1・エリザベス女王杯に出走が叶いました。このエリザベス女王杯には、同じ年の桜花賞馬とオークス馬も出走してきたため、同世代のトップクラスが対決することになったのです。

ヒシアマゾンは大外一気の追い込みでこの1戦を制し、見事重賞6連勝まで達成しました。これによってヒシアマゾンは、同世代の桜花賞馬とオークス馬を倒し、2歳時に続き世代No.1の称号を手にしました。つまり、ヒシアマゾンはクラシック競走に出れなかったため三冠の資格がなかっただけで、実力は間違いなく三冠牝馬レベルにあったのです。

これをもしも現代のレース体系に合わせるなら、ヒシアマゾンはG1・5勝馬になっていたでしょう。

2.距離・馬場への自在性

ヒシアマゾンは、全盛期の3歳時に重賞を6連勝しています。また、暮れのG1・有馬記念では、当時の最強馬ナリタブライアンには敗れたものの、G1馬ライスシャワーやネーハイシーザー、サクラチトセオーなどの男馬を破り、2着に好走しました。

この1年間(1994年)、ヒシアマゾンは1200mから2500mまでの重賞で大いに活躍しています。前にも後にも、これほどまでに距離の自在性がある牝馬は現れないのではないでしょうか。歴代の最強牝馬を見ても、ヒシアマゾンほどのオールラウンダーは挙がりません。

さらに、ヒシアマゾンは馬場も問いませんでした。外国産馬らしいパワーも持ち合わせていたのです。現代のように路線が整備されていれば、もっと活躍のフィールドは広かったのではないかと思います。

3.ファンに与えたインパクト

ヒシアマゾンの強烈な追い込みは、鬼脚として恐れられ、当時の競馬ファンに絶大なインパクトを与えました。クリスタルカップをはじめとして、どの位置からでも飛んでくるその姿は、まるでマンガのようだったのです。

また、重賞6連勝の快挙や有馬記念でのナリタブライアンの2着、ジャパンカップ(G1)で当時のドイツ最強馬であるランドに迫るなど、その競走馬生活には必ず話題が付いて回りました。

今でも21世紀の名馬を差し置いて、最強牝馬にヒシアマゾンの名前が挙がる程、競馬ファンの記憶に大きな印象を残しているのです。

 

ヒシアマゾンよ、永遠に

2月、ウオッカの訃報に多くの人が悲しんだ後で、また1頭、最強牝馬がこの世を去りました。

ヒシアマゾンの主戦だった中舘騎手は、「騎手として知名度を上げてもらったし、調教師としてやっていけるのもあの馬のおかげです。一番思い出に残っているのは、94年のクリスタルカップ。乗っていてドキドキしたのはあのレースだけでした。感謝しかないですね」とコメントしています。

平成に生きた女傑は、平成が終わる2週間前にその生涯を閉じました。
多くのファンを魅了した牝馬の死は、新たな時代が始まることを告げているかのようですね。

 

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