皐月賞とダービーの1着2着が同じだったことは過去にあるのか?
2020年の日本ダービーは、皐月賞と同じくコントレイルが優勝しました。
また2着にも、皐月賞同様サリオスが入着し、皐月賞とダービーで同じ馬が1着2着となりました。
レース後、解説を担当していた松本ヒロシさんが、「皐月賞とダービーの1着2着が同じだったケースは記憶にない」と言っており、僕も気になったので検証してみることにしました!!
【検証】過去の皐月賞とダービーで1着2着が同じだった年
調査方法としては、皐月賞とダービーを両方とも勝った馬の2着馬を見ていきます。
↑こちらの記事に、皐月賞とダービーの2冠馬(もちろん3冠馬も含む)をまとめているので、その中から調べていきましょう。
1951年 1着:トキノミノル 2着:イツセイ 3着:ミツハタ
1例目は、1951年にありました。
皐月賞・ダービーを圧勝したトキノミノルと、その2着だったイツセイです。しかも、3着まで同じミツハタというスゴい結果となっていました!
トキノミノルは、いまや伝説と化している超名馬です。なんと通算成績は10戦10勝!
ダービーを優勝した2週間後に病死するという、悲劇的な運命に見舞われ、当時の競馬ファンに多大な衝撃を与えました。いまとなっても、日本競馬史上に残した功績は計り知れません。東京競馬場や馬の博物館にも銅像が立っています。
さて、トキノミノルとイツセイの2頭は、2歳時(旧表記3歳)の朝日杯にて初めて対戦し、それからダービーまで5回の直接対決をしています。その結果は、全てトキノミノルの勝利で終わり、全競走でイツセイが2着に入っています。
尚、トキノミノルは急死しましたが、イツセイは菊花賞に出走し3着に入線しました。
1952年 1着:クリノハナ 2着:タカハタ
2例目は、すぐ翌年の1952年で見つけました。
皐月賞・ダービーともに1着だったクリノハナと、2着だったタカハタです。
2冠を達成したクリノハナもスゴイですが、2着に入ったタカハタはなんと牝馬でした!!
八大競走のタイトルには手が届きませんでしたが、朝日杯を優勝、中央競馬で通算26勝と、今では考えられない成績を残しています。
尚、どちらも菊花賞には出走していません。
1963年 1着:メイズイ 2着:グレートヨルカ
3例目は、1963年に1着2着だったメイズイとグレートヨルカです。
この2頭は、同世代の中で際立って能力が抜けていたため、トライアル競走からライバル関係を築きました。初対戦となった東京記念こそグレートヨルカが勝利しましたが、続くスプリングステークスと皐月賞ではメイズイが勝ったため、2頭の能力比較に当時の競馬ファンは大いに盛り上がったのです。そして迎えた日本ダービー、4回目の直接対決はそれぞれのイニシャルから「MGダービー」と呼ばれ、枠連のオッズはなんと1.7倍もの低さでありました。
もちろん勝ったのは皐月賞と同じくメイズイになります。
尚、菊花賞では3冠の懸かるメイズイが暴走ともいえる大逃げを打つも、早々に脱落し6着に沈みました。一方のグレートヨルカは、後方から差し切りを決め優勝。最後の1冠を手にしています。
1983年 1着:ミスターシービー 2着:メジロモンスニー
4例目は、1983年に登場した追い込み馬ミスターシービーとメジロモンスニーです。
当時、強い馬で追い込み脚質を取っていた馬は過去にあまり例がなく、ミスターシービーのように毎回追い込みで結果を出すというのは珍しいことでした。さらには、皐月賞・ダービーともに2着だったメジロモンスニーも追い込みタイプのため、後方勢決着の年だったといえますね。
尚、メジロモンスニーは怪我により菊花賞を回避していますが、ミスターシービーはシンザン以来19年ぶりの3冠制覇に挑戦し、見事達成します。その個性派としての魅力も相まって、これ以降の第二次競馬ブームに大きな役割を果たしました。
【番外編】1970年 AT対決(タニノムーティエ・アローエクスプレス)
皐月賞とダービーで同じ1着2着という訳ではありませんが、2強対決でこれは外せません。
1970年のクラシック戦線には、2頭のライバルがいました。タニノムーティエとアローエクスプレスです。当時は、競馬界における東西の対抗意識が強かったこともあり、西のタニノムーティエ、東のアローエクスプレスとして直接対決は大いに盛り上がりました。
結果、トライアルのスプリングステークス、続く皐月賞・ダービーはタニノムーティエが勝利していますが、その間に行われたNHK杯はアローエクスプレスが制しました。ダービー以外はこの2頭で1着2着を独占しており、実力はほぼ拮抗していたのではないでしょうか。
尚、菊花賞には両馬とも出走していますが、どちらも大敗しています。
まとめ
ここまで、皐月賞とダービーで1着2着が同じだった年を見てきましたが、
該当したのは過去80年で4回だけ!
でした。
(個人的には、意外とあるんだなという感想ですが、、(^^;)
ただ、菊花賞もその2頭のワンツーだったという事例はないので、今後ライバル同士となる馬が現れて、日本競馬に新たなストーリーが作られることが楽しみですね♪
↓皐月賞に関する過去記事です♪
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